ニキとヨーコ~下町の女将からニキ・ド・サンファルのコレクターへ~ 第8章

黒岩有希著 『ニキとヨーコ 下町の女将からニキ・ド・サンファルのコレクターへ』(NHK出版刊) より、冒頭部分をご紹介します。

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第8章 美術館への道

 

ソワジーのアトリエにエアメールが届いた。ニキは、宛名の筆跡を見ただけでヨーコからだとわかった。月に何通も手紙が届くのだ。

ヨーコとイタリアで会った後、ニキはリウマチの治療に専念するため、パリに戻っていた。一方、ヨーコは美術館設立への思いにますます駆られていた。手紙には、体を心配する言葉とともに、「ニキを紹介するためにカタログを翻訳して無料で日本の美術館や評論家に配りたい」とか、「東京だけでなくほかの都市でも展覧会を開催したい」などといった内容が熱く綴られていた。どの手紙もほとんど内容は変わらなかった。

「私、あなたの美術館を日本につくりたいと思っているのよ」と、まるで少女のように夢を語っていたヨーコ。ニキはそれを聞いて確かにうれしかった。それでも、ヨーコとはまだ二回しか会っていない。打ち解けて話をしたものの、ヨーコが自分に向ける思いはあまりに強過ぎる。ヨーコという人物をどう評価すればよいのか、ニキはまだ判断しかねていた。

 

当時のニキは、さまざまなプロジェクトのために世界中を飛び回っていた。一九八三年にはパリのポンピドゥ・センター前のストラヴィンスキー広場の噴水をティンゲリーと共作し、カリフォルニア大学サンディエゴ校には大きな作品を設置した。少し前には、オランダのアムステルダムで飛行機の外装のデザインもしている。

多くの人がニキと会いたがり、仕事をしたがった。しかし、彼女がそれら全てを聞き入れていたのでは体がもたない。言葉巧みに近づいて利益を自分のものにしようとする人間も少なくはなかった。

 

とにかくヨーコのニキへの賛辞は尋常ではなかった。当初の二人の会話は、主に通訳を通して行われており、会話では十分な意思疎通ができているとはいえず、その分手紙には熱烈なヨーコの感情がストレートに表れていた。

「あなたのアートは、日本のマウント・フジのように気高くそびえ、美しい」「あなたとあなたの作品と出会ったのは運命でした。あなたは私の人生を変えたのです」「私は、神の意思のもとに神聖な創作活動に携わるあなたの邪魔をしているかもしれない」等々。

ヨーコのニキに対する憧憬を、ニキ自身はまだ完全に受け止めきれなかった。ニキは戸惑い、次から次へと来る賛辞の嵐に、自分が祭壇の上に奉られている気分になっていった。ある意味、恐れさえ感じるようになっていったという。

(続く)