ニキとヨーコ~下町の女将からニキ・ド・サンファルのコレクターへ~ 第10章

黒岩有希著 『ニキとヨーコ 下町の女将からニキ・ド・サンファルのコレクターへ』(NHK出版刊) より、冒頭部分をご紹介します。

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第10章 永遠の友情

 

あなたの美術館開館という大事な日に、どれほど一緒にいたかったことでしょう。

あなたがこのプロジェクトにどれほどの労力と時間を注いできたか、私は知っています。あなたの美術館は、あなたが何年も前に抱いた夢の結実です。

美術館設立という大きな栄誉を与えていただいたことに感動しています。春に気候がよくなったら自分の目で見るのを楽しみにしています。ご存じのとおり、私は退院したばかりで、医師は今は旅行を許可してくれないのです。

あなたとご家族、ご主人とお子さんたち、そのほかの方々にも感謝を捧げます。皆様の協力と情熱のおかげで、この美術館が実現したのです。

 

ニキのメッセージを読み上げるローラの声が、展示棟の中に響いた。

一九九四年一〇月六日。世界で唯一、ニキの名前を冠し、ニキの作品だけを所蔵する美術館がオープンした。名称は「ニキ美術館」。栃木県那須町の風光明媚な一角。見上げると茶臼岳の紅葉が始まっていた。美術館の庭の木々が色づくのも、間もなくだろう。

好天に恵まれたオープニング当日は、早くから関係者や招待客が詰めかけた。那須塩原駅と美術館をピストン輸送する送迎バスも用意された。肝心のニキが療養中で来日できず、その点は残念ではあったが、ヨーコの幅広い人脈もあって盛会だった。静岡県伊東市にある池田20世紀美術館の牧田喜義館長をはじめ多くの美術関係者、マスコミ、ヨーコの友人、知人たちが出席し、スペース・ニキで知り合った画家たちも大勢駆けつけてくれた。

一方、ニキ側は、息子フィリップ、娘のローラとその夫ローラン、孫娘のブルームと夫ブーバ、曽孫のジャマール、スタッフのリコ、ジャニスらが出席した。

「増田さん、すばらしい美術館をおつくりになられましたね」と牧田館長がヨーコに声を掛けた。ヨーコはうれしげに笑みを返した。友人、知人、画家たちも感嘆の声を上げた。

「ニキというアーティストの息遣いを感じる」「ニキ作品の初期から現在まで、よく網羅されている」などの声が上がった。そして「建物とニキ作品の対比もすばらしい」と言ってくれる人も多かった。その日のヨーコは輝くような笑顔で、寝不足など感じさせなかった。

 

開館までは目まぐるしい日々の連続だった。特に直前は、招待客への案内状づくりからマスコミへの告知、メディアからの取材等々、時間がいくらあっても足りなかった。オープニング前日は、夜遅くまでニキのスタッフと日本側のスタッフ総出で、最後の作品展

示を行った。二〇〇点にも及ぶコレクションから、どの場所にどの作品を置くか。ニキのスピリットが正しく伝わるよう、侃々諤々の話し合いのもとで。ヨーコが眠りに着いたのは明け方近くだった。その流れのまま、オープニング、一般公開へと続き、息をつく暇もなかった。

そんな中でも、ヨーコの胸に時折ニキの怒りの顔が覗いた。美術館の天井の修正はできないと知らせた時以来、ニキからそれについての返事はなかった。リコによれば、ニキの怒りは全然解けていないとのことだった。

(続く)