女4人珍道中~タロットガーデンへ~

今回の旅の目的は近代美術館(パリ)で開かれているニキ展の鑑賞と、イタリア・トスカーナ地方でニキが建設中のタロットガーデンの進捗状況を見るためだ。タロットガーデンは、ニキの独創的な立体彫刻(オブジェ)を樹木に囲まれた自然の丘陵地帯に解放した庭園美術館形式の施設だ。ヨーコさんは渡欧の際、時間があれば必ずタロットガーデンの建設現場に足を運んだ。それはニキが居ようと居まいと、だ。

後で知ったことだが、この時ヨーコさんはニキから特命を受けていた。

 

秋のパリを飛び立つと、そこは真夏のイタリアだった。

フィウミチーノ空港はむんむんと熱気に包まれていた。

「暑い暑い」と、ヨーコさんが上着を脱いだ。

千江子さんは冗談交じりに「こんなに暑いなんて聞いてまへんで」と京都訛りで。

空港の到着フロアには、優しそうな小太りの男性が迎えに来てくれていた。

タロットガーデンで働くクラウディオさんだ。

私達がタロットガーデンに行くことは、パリで展覧会があるため来られないニキから事前に伝えられていた。

「有希ちゃん、クラウディオの横に座ってね」とヨーコさん。

これから、カパルビオという地名にあるタロットガーデンまで約1時間半のドライブだ。助手席に座った私は、親善大使よろしくクラウディオさんとなんとかコミュニケーションを取りたいと意気込んだ。話しかけてみるが英語は全く通じない。イタリア語の単語帳を見ながら片言に話しかけると笑顔を見せてくれた。

気分を良くした私とクラウディオさんは身振り手振り、日本語も交えながら盛り上がった。どうやら彼の家では最近、子供が生まれ、大変だというようなことが分かった。イタリア人は知り合うと本当に人懐っこい。

もともと、彼は地元っ子だ。

ニキはタロットガーデンを作るとき、地元の左官工、電気技師などに声をかけ、アシスタントになってもらった。先日亡くなってしまったが長老であるウーゴじいさんは郵便局員をしながらアシスタントとして活躍した。クラウディオさんは、ウーゴじいさんの親戚だそうだ。

英語がまるで通じない彼らにニキが作り出したいアートの世界を理解させるには相当の時間がかかったであろう。

最初は村の人から、得体のしれないフランス人が変なものを建設していると反対運動まで起こったそうだ。

このためニキは大変に苦労したというが、自分の芸術を追求する真摯な態度が地元の人達を次第に開かせることになる。

ニキはイタリア語を覚え、現場で働いてくれる人達には家族のように接し、お茶を入れたり料理を作ってたくさんのアシスタントを束ねていった。

完成し、一般公開されたあとも、当時のアシスタントたちがタロットガーデンを守っている。

夢を共有し実現した仲間たちの絆は主が亡くなった今でも固いのだと感じた。

 

後ろの席で疲れの故か、3人とも寝入ってしまった。

私達を乗せた車は、オリーブ畑が広がるなだらかな丘の田舎道をがたごとと揺れながら通り抜けた。

突然、樹々と青い空しかなかった小高い山のあたりの景色に“色”が現れた。

なるほど、村人たちが驚くはずである。近づけば近づくほど度肝を抜かれる大きさの作品群である。色はカラフルだ。にょきにょきと有機的な形のニキの建築群はまさに動き出すのではないかと思ってしまう。

「さあ、着いたわよ!」いつの間にか目を覚ましていたヨーコさんの張り切った声。

「Nちゃん、ビデオ頼むわよ、有希ちゃんは写真ね」とヨーコさんは指示するとクラウディオさんに続いてタロットガーデンの入り口に向かって颯爽と歩き出した。

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写真/建設中のタロットガーデンにて