女4人珍道中~さようならパリ~

ニキはタロットガーデンを自分自身のスポンサーで、自分自身の手で造り上げた。

誰の意見にもとらわれない自分だけの楽園。世界中で仕事をしてきたニキにとってタロットガーデンの制作は、真に心が解放できる時間だったのだろうと想像できる。

もっともそんなニキだが、アーティストにありがちな‘頑なさ’一辺倒ではない。これは写真家でもある私の夫がタロットガーデン滞在中に偶然見聞きしたことだが・・・。

ニキの夫であったスイスのアーティスト、ジャン・ティンゲリーがまだ健在であるころの話だ。

庭園内の小道をコンクリートで舗装している時だった。

ニキとティンゲリーが小道脇で激しく言い争っている。通りかかった夫が「どうしたの?」と聞くと、二人は舗装された一角を指さす。そこには、生乾きのコンクリートの上に犬が歩いて足跡がくっきり。ティンゲリーは、足跡を消して「舗装し直すべきだ」と言い、ニキは偶然性が面白いから残すべきだと主張。議論は平行線のまま。夫はその会話に入ったものの、言葉をはさむような雰囲気ではない。結論は出ぬまま、二人はそれぞれ他の仕事に向かって離れていった。2、3日後だったか、コンクリートの犬の足跡はきれいさっぱり消されていた。夫やヨーコさんに言わせると、二人の意見のぶつかり合いはしょっちゅうのこと。時には、そのぶつかり合いが刺激となり、新しい構想に結びついたり、新しい作品が生まれたりしたのだ。

つまり、この犬の足跡一つにしても、真剣な議論の末、ニキはティンゲリーの意見を自分の内に消化したのだ。

お互いアーティストとして認めあっているからこそ、相手の言い分を受け入れることが出来たのであろう。

 

さて、そろそろタロットガーデンを後にする時が来た。

ヨーコさんと私はパリに戻り、千江子さんとNさんはベネチアへ観光の旅に。しばらく別行動することになった。

イタリア・トスカーナ地方の素朴なオリーブ畑から華やかな都パリへ。180度違う趣きだが、どちらも魅力的であった。

パリでは仕事が沢山待っていた。ヨーコさんは精力的に人と会い、パリのギャラリーを見て回った。

そんな中、ヨーコさんと一緒にニキの娘ローラと会った時の事は強く印象に残っている。

ペパーミントグリーンのシャツに白いコットンパンツの彼女はどう見ても少女にしか見えない。当時30歳にはなっていたはずだが、シャイで繊細で、優しそうな、壊れそうな、ガラスのような女性。これが私の第一印象だ。ニキのような母を持ったローラには様々な事情があるのだろうと感じた。

 

その時、ローラとはパリの有名な牡蠣の店でディナーをご一緒した。

私はそれまで牡蠣が苦手であったが日本では見ることのできない平べったい牡蠣や小ぶりの牡蠣に舌鼓を打った。

ヨーコさんとローラはほんとに仲が良かった。

2人で肩を寄せ合って歌を歌ったり、ローラの悩みをじっくり聞いてあげるヨーコさんは姉の様だった。ローラもヨーコさんには心を許しているのがわかった。

もちろん相性もあるだろうが、ヨーコさんはローラと始めて会った時から心を開いていたのだと思った。

周りには賑やかな音楽が流れ、美味しい食事と親密な会話、楽しい夜が更けていった。

 

この旅行はかれこれ20年余も前のことで私の記憶も大変あいまいになってきている。ただ、日本へ帰った当初「大変に疲れた」という思いが強かった。

滞在中、毎日ちょっとした事件が起こったからだ。なんせ、個性の強い人達ばかり、目的地を目指し歩き出せば地図を見ながらあっちだと主張する千江子さん、こっちだと思う私。どこ吹く風のNさん。結局どちらもたどり着けない。

「このバスよ」とヨーコさんに言われ乗ってみるとバスはどんどん工場地帯に入っていく。外はだんだん暗くなる。「これ、間違ってます!」と声を張り上げみんなをバスから降ろした私は、治安の悪そうな場所で近づいてくるおじさんを睨みつけながら一人でタクシーを探し回った。

無事タクシーを見つけ見慣れたパリの街並みに帰ってきたときはほっとしたが、「有希ちゃん心配性ねえ」とのんきな3人に腹が立つより笑ってしまった。

この他、人前でお財布をあけるヨーコさんにハラハラしたり、昼食の店選びから買い物まで、確かに大変だった。

 

けれど、今になってこうして少しずつ旅を思い出してみると、なんて貴重な代えがたい体験をしたのだろうと思う。むしろ旅の意外性に愉しさがあるのだなと。

もっといろいろなことを気に留めておけばよかったと思うが後の祭りである。