エイズについて

先日、世界のエイズ(AIDS)患者の死者がピーク時から半減した、とラジオが伝えていた。

ヨーコさんやニキが、このニュースを知ったらさぞ喜んだことだろうに、と私は思った。

 

ニキが、イタリアトスカーナ地方に建設した彫刻庭園「タロットガーデン」の中に、傷ついて血を流す白鳥やサイの彫刻レリーフがある。カードNO.4皇帝の回廊になっている中庭の一角だ。このレリーフはほかのとは趣が異なっている。

追悼レリーフなのだ。

ニキによると、彼女のよきアシスタントで、家族同然の付き合いだった二人の若い青年ジェフリーとリカルドをエイズで失っている。

このため二人をはじめ、これまでエイズで死んだ世界中の多くの若者たちを追悼しようと、このレリーフ建立を決めたのだ。

 

1988年にジェフリー、1989年にリカルドと相次いだ二人の死は、ニキにとって大変なショックだった。毎日、ジェフリーの見舞いを続けたニキは、その病院で、エイズが原因で次々に亡くなっていく若者たちを見た。

ヨーコさんへの手紙でニキは「ヨーコ、病気にかかっている人の中には二十歳前後の人も結構いるの。ベットのかたわらに母親がいる風景は決して忘れないわ。

胸がふさがれる光景よ」と送っている。

 

ヨーコさんは、リカルドがまだ元気なころにパリの中華料理店で食事したことがある。席上、「いつも親切にしてくれるお礼に」とヨーコさんは自分が身に着けていた古代エジプト調のライオンの牙のネックレスを手渡した。パリの蚤の市で見つけた彼女のお気に入りのものだった。渡すときリカルドに「ライオンは強いからあなたを守ってくれるわよ」と言ったそうだ。

リカルドはどちらかといえば物静かな優しい性格で、その反面情熱的な一面もある青年だった。早速ネックレスをつけたリカルドは嬉しそうだったとヨーコさんは話していた。

 

80-90年代はエイズの猛威が吹き荒れ、死の病いとされた。無知からくる偏見もあって多くの患者が孤独の中で亡くなっていった。

ジェフリーとリカルドの死後ニキは、エイズ撲滅のため積極的に活動するようになる。

1986年には息子のフィリップに書き送った手紙という形で、絵本「エイズ・握手でそれは感染しない」を出版する。

この本は、その後フランスの100もの小学校に無償で配られた。

 

エイズへの偏見を取り除こうというニキの真摯な姿勢は、ヨーコさんにも刺激となった。

この本を一部購入し配布し日本で知人たちに配っている。

詩人の吉原幸子さんがこの本についてエッセイに取り上げてくれている。

「この本には明らかに思想があり、哲学があり、そして何よりもヒューマニスティックな優しさがある。科学的な、合理的な根拠の上に立ちながら、精神的な深い優しさがある。これこそが、本当の芸術家のもつ魂なのではないだろうか」と指摘する。

この本は、ヨーコさんの頑張りもあってかジャーナリストの大宅映子さんの訳で日本でも出版された。

 

また当時、フランス在住で通訳をしてくれた生方敦子さんによると、ヨーコさんはパリで「AIDES」という世界最初のエイズ支援団体を立ち上げたダニエル・ドゥフェール氏とも会っていたそうだ。彼は哲学者ミシェル・フーコーの長年のパートナーとして知られフーコー亡き後この団体を立ち上げている。

「どのような話をしたのか、もう記憶が定かではありませんが、二人が真剣な表情で向かい合っていた様子は今も脳裏に残っています」と生方さん。

 

また、ヨーコさんはこんなおもしろいエピソードがある。彼女は、日本でニキデザインによるコンドームを作ってエイズ撲滅に役立てたいと、実際にメーカーに掛け合っていた。

かなり長い間、ニキとヨーコさんとメーカーによる話し合いが続けられたのだが、結局は実現しなかった。ニキの色彩を再現できないというのが理由の一つであったようだ。

もし、売り出されていたらみんな度肝を抜かれていただろうに。

 

本の最後にニキは「いつか人類は、この病いを克服するだろう。それまではエイズと共生する道を学ばねばならない」と結んでいる。

出版から30年近く経ちニキの予言通り抗ウイルス薬が次々開発されエイズは恐れるべき病いではなくなりつつある。エイズに対する意識も変わった。

ニキやそれを支持したヨーコさんといった人々の地道な活動が実を結んだのだ。

 

写真/タロットガーデン内のレリーフ

 

 

 

 

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次回の「ヨーコのエピソード」は9月に掲載します。お楽しみに。