天ぷらのお話

先日、たまたまつけたテレビの番組で天ぷらが大好きという外国人の青年が日本に来てその技を勉強するという。その青年を受け入れてくれた天ぷら屋の大将がすごくいい。短い滞在期間の中、日本の伝統の味を学んでいってもらおうと惜しげもなく天ぷらを揚げるコツを伝授し、あったかい眼差しで青年を見守っている。なんていったって、情が篤い江戸っ子だ。二人のやりとりにほっこりなった私。その店に行ってみたいな~さぞ美味しいに違いないと思っていると、なんとその天ぷら屋「天寿々」は上野にあるというではないか。どうして今まで気が付かなかったのか。

びっくりして調べてみると我が事務所から徒歩7分。上野広小路の飲食店が集まった路地裏にあった。ほどなくして訪れるチャンスがやってきた。

 

店に入ると檜の一枚板のカウンター席に案内される。目の前であのテレビの大将が天ぷらを黙々と揚げていた。いきなり「テレビを見ました」いうのも無粋なこと。

天ぷらが出てくる間、夫と上野界隈の昔話などをしていると、小耳にはさんだ大将が戦前の池之端について話し出した。

「今の仲町通りはね、あたしら子供のころはホントきらきらしたところだったんですよ。いい料理屋が多くてね~。粋なところでしたよ」と大将。話がいったん切れたところで夫が「広小路にあった花家って日本料理屋知ってますか?」と聞くと、とたん大将の顔に緊張が走った。身を乗り出すように「泣く子も黙る‘花家’じゃないですか。知ってるも何も。うちの出してるこの天つゆは花家のおやじさんから教はったものだから」びっくりだった。夫と私は思はず顔を見合わせた。「実は私は、花家の黒岩荒江の孫なんです」と夫が言うと、大将もまたびっくり。

ひとしきり花家の昔話に花が咲いた。聞けばこの店、昭和3年の創業。もともと大将の先々代は鳶職人だったが、その先々代が天ぷら屋を始めるというので荒江が一役買ったらしい。「厳しい半面、面倒見がよかった祖父らしい」と夫。

天寿々さんの事は知らなかったが、夫によると、花家に料理の味を教わった店が何軒かあることをヨーコさんから聞いていた、という。例えば親子丼の上野鳥つねさん、今は無くなったが、そば処の更科屋さんなどだそうだ。

古い町並みがどんどん消えゆく上野だが、荒江が伝えた味が今も残っていることに、私はひどく感動した。天寿々の天ぷらも、ことのほか美味しかった。

店を後にし、花家とヨーコさんについて思いを巡らせた。

花家を閉めると決断したヨーコさんは、その時どんな気持ちだっただろう。関東料理人の5人衆に数えられたほどの荒江の店、上野のあちらこちらに父の味がある、そんな大きな暖簾を下ろしてまですることは何なのか。花家以上の何かをしなければ。そんな決意と覚悟がヨーコさんにはあったんじゃないかと思う。

 

話は飛ぶが、天ぷらで思い出したエピソードがある。

那須の館長宿舎に寝泊まりしていたヨーコさんがある日突然天ぷら用の鍋を仕入れてきた。それからは、お客さんが来ると必ず天ぷらでもてなした。卓上天ぷらだ。先端部分が金属になった菜箸で衣にくぐらせ油に入れる。さすがは料理屋の娘、料理するヨーコさんの手ぎわはサマになっていた。秋になり美術館の庭のもみじが紅に色づくとそれを取ってきて、天ぷらにした。

味も結構いけた。

お客さんが多かったあの年、あの年は本当に天ぷらばかりの夕飯だった。

 

 

 

 

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次回の「ヨーコのエピソード」は2018年1月に掲載します。お楽しみに。