黒岩有希著 『ニキとヨーコ 下町の女将からニキ・ド・サンファルのコレクターへ』(NHK出版刊) より、冒頭部分をご紹介します。
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第2章 焼け跡の青春
上田を出てきた静江が降り立った上野駅界隈は、辺り一面焼け野原で、いろいろな人たちでごったがえしていた。復員兵や負傷兵、住む家を失った人、戦争孤児ら。それぞれが皆、おなかをすかせていた。朝、人が行き倒れになっていることもよくあった。
焼け跡にたくさんのバラックが建った。「ノガミ(上野の逆さ読み)の闇市」と呼ばれた場所は、後のアメヤ横丁、通称アメ横だ。始めは物々交換の場だったが、やがて、横流しの食料が売られたり、怪しげな食べ物が売られたりするようになった。混乱の中、皆必死で生きていたのだ。
父は、静江が疎開先から相談もなく一人で帰ってきたことについて、何も言わなかった。こうと決めたら後には引かず、何でもやり通す静江の性格を知っていたからだろう。
花家は無事であった。職人たちも無事だった。広小路から、西に入った池之端仲町通りの薬屋「宝丹」の一画まで、奇跡的に焼け残ったのだ。都電も走るほど幅広い広小路が防火帯となり、上野の山や不忍池に近く、住宅が密集していなかったことや、風の向きなども幸いしたらしい。
父は間もなく店を再開した。砂糖が不足し、人々は甘いものに飢えていた。花家は戦中に砂糖を備蓄していたため、それを使ってお汁粉や甘い味付けのお弁当を売り出した。これが当たって大繁盛。また、父は物資の少ない中、海藻を使ってそばのようなものをつくった。それもまた当たって、店の前には長蛇の列ができた。
父は稼いだお金でアメ横に三軒のバラックを建て、静江たちはその一軒に住むことになった。隣はホステスの寮になり、もう一軒は酒場になった。酒場の経営者は女装趣味の男で、夕方になると赤い着物を着て歌い出す。夜中には、酔ったホステスたちがキャーキャー言いながら帰ってきて、それに酒場の酔っ払いが絡む声。野犬も吠える。ある時などピストルの音までが。一晩中大騒ぎの毎日であった。
静江の近所がそうであったように、上野駅界隈は「魔の町」と呼ばれていた。夜、叫び声が聞こえて外へ飛び出すと、血だらけでドスを持った人がいる。周りは見物の人だかり。女性が町を歩くと「いくら?」なんて声を掛けられたりした。
こんな町だから、やくざも多かった。当時、町の顔役の手足となった愚連隊に「血桜団」という大がかりな一団があった。今で言う不良の集まりだ。ところが静江はこれに憧れた。大きくなったら「血桜団」の女番長になりたいと、一時期本気でそう思っていた。力のある者が生き残る戦後の混乱期の風潮を、静江は肌で感じ取っていたのだ。
(続く)