ニキとヨーコ~下町の女将からニキ・ド・サンファルのコレクターへ~ 第3章

黒岩有希著 『ニキとヨーコ 下町の女将からニキ・ド・サンファルのコレクターへ』(NHK出版刊) より、冒頭部分をご紹介します。

*** *****

第3章 駆け落ち

 

「ガールフレンドになってくれるようなチャーミングな人はいない?」

静江の女学校時代の友人青木千里にそう尋ねたのは、彼女のいとこで東大生の増田通二だった。

「ツウちゃんは個性的ではっきりした女性が好きで、美人好み……クロなんかぴったりじゃないかな」と、千里の脳裏に静江の顔が浮かんだ。

週末、千里は上野の「子供の家」に向かった。相変わらずたくさんの学生が出入りしていた。

「千里じゃないの、久しぶり!」と静江が駆け寄ってきた。

「どう? 元気?」と千里が聞いた。

「元気よ、でもね、聞いてよ! 今ね、東大の渡辺くんに『エリーゼのために』ってすばらしい曲じゃない?って聞いたらね、何て言ったと思う? あれはクラシックじゃありません、だってさ。そんなこと聞いてないのに。頭固いんだよね~」

静江は憤慨している。

「ほんとね。ところでクロ、私のいとこがアルバイトでフランス語の生徒を探しているんだけど。以前、フランス語習いたいって言ってなかった?」と千里が尋ねた。

「うん、習いたい。大谷さんって子も一緒でいいかしら、寮で同部屋なんだけど」と静江。

「いいわよ。じゃあ今度の水曜日、私のいとこを津田まで連れていくからね」

 

通二についての静江の第一印象は、「小柄だがエネルギッシュで強い個性がある」。その頃静江の周りにいた難しい話をするインテリ学生とは違って、細かいことをいちいち気にしない、実に爽やかな青年だった。

通二のくよくよしないおおらかさは、東京大空襲の直後に焼け野原の中のおびただしい瓦礫と焼死体の山を見たことから来るものであった。「あれを見ちゃったら、もうほかには何もない」と思ったという。そして敗戦で味わった解放感。いてもたってもいられず、疎開先の松本から新宿行きの汽車のデッキに飛び乗った。暗く考えればきりがない。「これからは、明るく、楽しい生き方に徹しよう」

と思うようになった。

通二は東京に戻るとすぐ、旧制都立高校の文化祭で『シラノ・ド・ベルジュラック』を友人たちと上演している。終戦から三か月後、焼け残った講堂での上演だった。日本画家を父に持つ彼は絵がうまく、舞台の背景は全て一人で描き上げたという。暗い戦争からの解放感のもと、人間のロマンをおおらかに歌い上げたこの舞台は大好評を博し、「演劇こそ、全てのアートの根源であり、人生のエネルギーの出発点である」というのが通二の信条となった。

 

二人が惹かれ合ったのは、ごく自然なことだった。

(続く)