ヨーコさんと通二さんが生前、好きで度々訪れていた場所が何か所かある。
それらへ、私たちも機会があったら立ち寄りたいとかねがね思っていた。
その一つが、沖縄県の宜野湾(ぎのわん)市にある「佐喜眞(さきま)美術館」である。
晩年、ヨーコさんと通二さんはお正月を沖縄や広島で過ごすようになった。
帰ってくると、シーサーや黒糖のお土産をくれるのだった。
その中にシーサーの絵のついた一筆箋が。
聞けば‘‘佐喜眞美術館’で、購入したという。
その後、沖縄に行くたびに訪れた、という話は聞いた。
けれど、どのような美術館だったのかという話は一切しなかった。
私たちが花冷えの続く東京を出発して、那覇空港に降り立ったのは4月の始め。
沖縄は穏やかな暖かさにつつまれ、艶やかな植物たちが島を蔽っていた。
佐喜眞美術館は普天間の基地のフェンスに沿ってあった。
基地に隣接していること自体、びっくりしたのだが、お会いした、館長 佐喜眞道夫さんにお話をお伺いすると、なんと基地だったところを、美術館を建てるということで取り返した、ということだった。
美術館上空の航空写真をみせてもらうと確かに、基地に食い込むようにして美術館がたっている。
地主だった佐喜眞さんのご先祖のお墓もある。沖縄のお墓は亀甲墓(きっこうばか)といって小さな家のような立派なものだ。佐喜眞さんの著書「アートで平和をつくる」によれば、墓はお母さんのお腹を象ったものだそうだ。春の「御清明(ウシーミー)」の時期には重箱に御馳走を詰めて一族揃って墓参りし、お墓の前で広げていただく。厳粛な祈りの後はご先祖と楽しいひと時を過ごすのだそうだ。そういえば、海辺に沿った墓の前で、街中のこんもりとしげる木々の葉陰でお線香をたく沢山の人達を見かけた。今がその「御清明」なのだなと思った。
佐喜眞さんは芸術空間に入る前に、心を開かせる亀甲墓の果たす役割は大きいと、書かれている。昔、宜野湾の辺りでは、亀甲墓の落成を「かぎやで風」の曲にのせて祝い場開きとしたそうだ。
銀の森を 後にし
金の森を 前にし
森は森として美しく
石は石として美しく
善き風水の巻墓の栄へ美し
「銀の森」も「金の森」もキムジナ―という沖縄の森の精霊たちも沖縄戦ですべてがふきとび、今は何も残っていないと佐喜眞さんは言う。
文字や理論で頭でっかちになってしまった現代、自然の原理に感性を開いておくことがとても重要だと。
「かぎやで風」の美しい詩を読んで、はるかな琉球の歴史を想う。
自然と共存してきた琉球の人達の営みを想う。
そして、戦争により分断されてしまった島を想う。
(つづきは、普天間の佐喜眞美術館・そのニへ)
次回は5月23日に掲載予定です。お楽しみに。