前日の夜、「明日、ニキに仕事で会うことになってるの。有希ちゃんも紹介するからついてきてね」とヨーコさんが言った。
木造二階建てのそのカフェの一階の壁面は腰の高さから天井まで大きな紅茶の缶がずらりと並ぶ。クラッシックな雰囲気だ。黒い縁取りがされた窓から午後の光が差し込んで店内は明るかった。床も壁も天井も飴色の木の板で張られている。あっちこっちで湯気が上がって黒い長めのエプロンの店員さん達が忙しそうに立ち働いていた。そして、色とりどりのプティケーキがアンティークなショウケースに並んでいる。なんて素敵なお店なんだろう、と私は思った。
今だったら、東京でもそんなお店は簡単に見つかるかもしれない。
けれど今から23年も前の話。ああ、パリへ来たんだな――と気持ちが弾んだ。
歩くと少し音がする階段を上がって2階に案内された。
大きなテーブル席で待つことしばし、緊張した面持ちで待っていると、突然階下がざわっとした。階段を上がる音がして、ほどなく長身の美女が颯爽と現れた。ニキである。
つづいて、黒いくりくりした目の男の赤ちゃんを抱っこした魅力的な女性、ニキの孫のブルームだった。ブルームは4か月前に出産したばかりだった。
私たちの他に二組ほどのお客さんたちがいたが全員がニキ達に注目している。
皆、その女性が世界的に有名なアーティスト、ニキ・ド・サンファルと知っていたのかどうかわからない。けれど、その圧倒的なオーラの前に皆目が離せなかったのだと思った。
若い頃、ボーグなどの著名雑誌でプロのモデルを経験しただけあって、スタイルは群を抜き気品が感じられた。当時は63歳であったが、とてもそんな齢には見えず、自身の作品にあれだけの色を多用しているだけあって、ファッショナブルな装いで、世界的な現代アートの第一人者としての輝きがあった。
ニキは大きな声で「ヨーコ」と言いながら、ヨーコさんに近づいた。ヨーコさんも立ち上がり「ニキ」と声をかけた。そしてお互い見つめ合いながらしっかりと抱き合った。まるで映画のワンシーンのよう。
次は私が挨拶する番だった。ところが、その時の事、緊張のあまりほとんど記憶にない。何をしゃべったかも定かでない。ニキがハグしてくれたことだけは覚えている。
みんなでお茶を飲みながら近況などを話し合った。ニキはグリーンティを飲んだ。
「グリーンティは美味しいし、大好きなのよ」とニキが言う。
体が弱かったニキは健康に気を使っているという印象を受けた。
後で聞いたことだが、この時のニキの体調は最悪で、その年の11月にはパリを離れ温暖なアメリカのサンディエゴに移住している。もっとも、このことがまた、新たなニキ作品を生み出すきっかけになった。人間は時折、環境を変えて気持ちをリフレッシュさせることが必要だと思う。
ヨーコさんとニキの会話は仕事についての話し合いになっていた。
開館が一年後に迫った日本でのニキ美術館についてだったと思う。
私はいい意味でニキを「魔女のような人だな」と思った。
不思議な魅力で人を惹きつける。ハスキーな声でよくしゃべり、よく笑い、エネルギーに満ちあふれて、相手を魅了してしまう。一方であれだけの作品を作る女性。強い怒りと繊細な心を持ち合わせていたのであろう。
私は圧倒されていた。
ヨーコさんにも、会った時からオーラを感じていたが、やはりすごい人達は内なるパワーが隠し切れずに外に出てくるものだ。
そんな人たちの身近でそれを感じることができた経験は貴重なものだったんだと後になって思う。
そんな二人を横目で見ながら、私はブルームと赤ちゃんのジャマールをあやしながら、
「私は野球チームができるぐらい子供が欲しいわ」というブルームにフムフムと相槌を打っていたのである