1993年9月、ヨーコさんとヨーコさんの妹の千江子さん、女流画家のNさんと私はフランスのシャルル・ドゴール空港へ降り立った。
ニキの展覧会がパリ市立近代美術館で開催されているので、それを観に行かないかとヨーコさんに誘われたのだ。私はまだ結婚して一年目。夫は同年の5月に、ヨーコさんとパリに行ったばかりだったので留守番を頼んで出かけることにした。女性ばかり4人の半月ほどの旅。もちろん、私にとってパリは初めてであり、学生時代からの憧れの場所だ。ワクワクするのと同時にヨーコさんをはじめ強烈な個性を持つ3人との旅には一抹の不安も感じさせた。
まだ蒸し暑い日本を飛び立って少し肌寒いパリに着いた。初めてのパリだけに右も左もわからず、ましてやフランス語は不勉強。
出発前にヨーコさんから「ゆきちゃんは今回私のマネージャーとして連れていくんだから、
頼むわね」と言われ、大したこともできないのに、しっかりせねばと緊張したのを覚えている。
その日、早速セーヌ川沿いに建つパリ市立近代美術館へ。9月の青空に映える白くて立派な柱が並ぶその美術館には秋の風が気持ちよく吹き流れていた。
ニキの展覧会は初期から1992年までの活動が回顧形式でゆったりと展示されていた。
カラフルなニキのナナたちが、その中で生き生きと踊っていた。
ふとヨーコさんが美術館の中庭を見て私に囁いた。「見て、ナナがいる」私がヨーコさんの、見ている方へ目をやると、中庭に飾られたニキの作品のそばにバルーンのように膨らんだ弾けそうな体格のフランス人女性が熱心に作品を見上げていた。その女性は、まさにナナそのものだった。
「ゆきちゃん、あの人とニキの作品写真に撮って」とヨーコさん。今回の旅は私がカメラマン、Nさんがビデオ係に任命されていたのだ。
女性に変に思われないかと冷や冷やしながら素早くシャッターをきった。
後で写真を見ると見事なピンボケ・・・小心者である。
那須の美術館のオープンが1994年だから、まだその一年前の話である。それだけに、これだけたくさんのニキ作品を観たことのなかった私は、ニキ作品に圧倒され、作品一つ一つを知って感動した。色彩一つとってみても実に多彩である。色彩の魔術師といわれた意味がこの時初めてよく分かった。
このパリ近代美術館には、常設作品としてマティスの「ダンス」の連作があり、展覧会の会期中ニキはこの「ダンス」に基づいた作品を依頼され、マティスへのオマージュ作品を作っている。
ニキはマティスの作品が大好きで、マティスの娘であるジャッキー・マティスとは同級生という関係もあって大変に仲が良かったそうだ。後年、ジャッキーさんが那須のニキ美術館を訪ねてきてくれ、話してくれた。
マティスというとあまりにも偉大すぎて私たちとかけ離れた遠い時代の伝説の芸術家という気がしていたが亡くなったのは、1954年なのだ。つい最近の事だと知りびっくり。
マティスに影響を受けたニキが亡くなり、またニキに影響を受けたという作家さんにたくさんお会いするとアートの歴史の流れの中に私たち一人一人も何らかの形で関わっているのだなあと感じる。
話が少し横道にそれましたが、次回「女4人珍道中」、私にとってもいよいよ世界的な女性アーティスト、ニキ・ド・サンファルとの初対面です。ご期待を――。
参照*「ニキ・ド・サンファル展」発行NHK/NHKプロモーション
写真/パリ市立近代美術館で ヨーコさん 1993年