私たち4人の泊まったホテルは、サンジェルマン・デ・プレにあるリュクサンブールという美しい公園のそばだった。
パリに来て最初こそ一緒に行動したが、2、3日経つとそれぞれの起きる時間もまちまちになり、朝ごはんもそれぞれのスタイルでとることになる。
私は毎朝早く起きる。ほかの三人はまだ寝ている時間だ。ホテルをでて公園周辺を散歩してみる。まだ人通りもなく凛とした朝の空気が気持ち良かった。その時、公園の脇に小さなパン屋さんがあることに気付いた。そのパン屋さんには、窓際に狭いカウンターが作られていて三人ぐらいならお茶が飲めるスペースもあった。パン屋さんはもう開いており、一人のお客さんが紙袋にバケットを入れてもらうとそそくさと出ていった。
私はパンが大好きで、パリに来たら焼きたてのクロワッサンが食べたいと願っていた。
早速、そのお店に入りクロワッサンとカフェオレを頼むとそのカウンターに腰かけた。赤と白のチェックのエプロンをつけた女の子が焼きたてのクロワッサンとボウルになみなみと入ったカフェオレを運んできてくれた。クロワッサンは、かりかりのさくさくで、香ばしく、カフェオレも思った以上に美味しかった。
以来、帰国するまで毎日このパン屋さんに通うことになった。パリを去るころには店員の女の子とも親しいほほ笑みを交わせるようになっていた。
ホテルに戻り一階のロビーでくつろいでいると、ヨーコさんと千江子さんが階段を下りてきた。2人はホテルのロビーの脇に作られたホテルの食堂で遅い朝食をとるのだ。
「有希ちゃんは、朝ご飯食べたの?」と聞かれ「近くのパン屋さんで済ませました」とその話をすると、ヨーコさんは目をまん丸にして私を見詰め、からかい気味に、「プティット マダーム」と言った。頼りない私がフランスのマダム気取りで地元のカフェで朝食を済ませたことに、茶目っ気たっぷりでそう呼んでくれたのだろう。
それ以降、ヨーコさんは度々、ちょっとした私の行動を見ては「プティット マダーム」と呼ぶようになった。それを聞くとなんだかくすぐったいような、嬉しい気持ちがしたものだ。
ヨーコさんは紅茶とパン、サラダと卵を頼んだ。「卵は半熟でお願いね」との注文をつけて。ところが、運ばれてきた卵はカチカチの固ゆでだった。
ヨーコさんはウエイトレスを呼ぶと「ノンノン」といって「もっと柔らかくしてね。ソフトよ、ソフト」と念を押した。
しばらくして、エッグスタンドに入った卵が運ばれてきた。ヨーコさんはスプーンを使って器用に殻をむいて一口食べた。が、先ほどの卵とほとんど変わらない固ゆでだった。
ヨーコさんは再度ウエイトレスを呼ぶと「あなた、これは何分茹でたの、沸騰してから卵を入れたら4分でいいのよ、それ以上茹でたらダメよ」と言った。
ウエイトレスは不機嫌な表情で卵を持ち、キッチンに戻っていった。
この卵の茹で方についてのバトルは、その後も毎朝、繰り広げられることになる。ヨーコさんたちの遅い朝食時間はほとんどの客が朝食を終えており、早く仕事を片付けたい気分がありありとみえるスタッフにやる気は感じられなかった。
千江子さんにも朝食には強いこだわりがあった。
彼女の朝はコーヒーとパンにもう一つチーズが絶対欠くべからざるものだった。海外に限らず日本での日ごろの朝食も必ずチーズがあった。
このホテルの食堂はチーズがない。ならばと千江子さんは市場へ出かけた時、チーズをたくさん買い込んだ。本場のチーズ。強烈な匂いを放っていた。
千江子さんは毎朝、食堂にこのチーズを持ち込んだ。ウエイトレスがなんですか、それはというような目つきで千江子さんを見詰めている。
千江子さんは平然と、そしておいしそうに朝食を食べるのだった。
ヨーコさんと千江子さんはこのホテルの食堂スタッフから要注意人物としてマークされていたに違いない。
けれど、どこでも自分のスタイルを貫ける二人には共通した強さがある。そして二人ともどこか憎めない。さすがは姉妹なのである。
ところがである。二人の性格は全然似ていないのである。
ヨーコさんはどちらかといえば無口なほうだ。千江子さんは京都弁で気の付いたことを次々に話し続ける。ヨーコさんがよく千江子さんに「口にチャック」といって手で口を閉める動作をする。すると千江子さんは黙ることしばし。そして「後で地獄みるで~」と何弁だかわからない口調でヨーコさんに言葉を返す。それを聞くとヨーコさんは「わっはっは」と笑うのである。とにかく面白い姉妹なのだ。
そうかと思うと千江子さんはとても細やかでよく気の付く人だ。よくもまああそこまでと思うほど、ヨーコさんの世話をあれこれ焼く。
ヨーコさんはそれを黙って聞いているのである。お父さんとお母さんだな、と私は思ったことがある。
憎まれ口をたたくようでも、二人には阿吽の呼吸があるのだ。
あとの一人、女流画家のNさんの朝ごはんはたばこであった。
写真/ヨーコさん(左)と千江子さん(右)