一番身近で、なんでも分かり合っているような連れ合いでも「えっ、そんなこと考えていたの」と驚いてしまうことがある。
長年同じ時間を共有した固定観念がそうさせてしまうのだろうか。
夫婦というのは面白いなあと思う。
ヨーコさんと通二さんはお互い深い愛情に結ばれながらも稀にみる不思議なカップルだった。
真夜中のお風呂場で――子供たちがまだ小さい頃、大量のおむつを洗っていたヨーコさん。ふと後ろに人の気配を感じた。
通二さんが仕事から帰ってきたのだ。通二さんはその頃仕事が忙しく真夜中に帰ることが多かった。ヨーコさんも家事や育児に追い回され、雑事がこんな夜中になってしまったのだった。
通二さんはヨーコさんがおむつを洗うのをじっと見ている。ヨーコさんはてっきり「お前、悪いね。こんな時間までご苦労様」と言ってくれると思い、「おい」と通二さんに呼ばれた時「なあに?」と優しい声で後ろを振りむいたそうだ。そんな笑顔の妻に、通二さんは「明日から自分の給料は自分だけで使いたいのだが」と一言。その時のヨーコさんの気持ちを考えると想像を絶する。
「あっそう」と言って前を向くと黙々とおむつを洗い続けたヨーコさん。
こんなことを言ったら普通離婚でしょ、と私は思う。この大量のおむつが見えんのかい!どあほう!と私なら心の中で悪態をつきまくるなあ。
ヨーコさんは小さい子供の世話で手一杯。お金が入ってこないという事は死ぬという事と等しい。こんな時こそ夫婦二人で力を合わせて乗り切るのが普通じゃないか?
でも、しばらくたってヨーコさんが出した結論は「この人を当てにはできない。自分が働かねば」と腹をくくったことだった。
以後、生活費は当然のこと、ビルの建設、ギャラリー、美術館建設、運営にいたるまですべてヨーコさんが稼ぎ出したお金だった。
世間ではよく「パルコの会長夫人だから(夫に金銭を出してもらって)美術館ができたのだ」と思われていた。
ところがどっこいである。今でこそ、財布は別々のカップルは少なくないが、1960年代の話である。
フランスですら妻が銀行口座や資産を持つことが出来るようになったのは、1965年のことなのだ。
女性が自立するということがいかに大変であるか。そして孤独であるか。
身をもって体験した彼女だからこそ、その後女性の自立に深い理解を示し、そういった女性の応援を惜しまないヨーコさんだった。
一方、通二さんはどんな気持ちだったのだろうか。
彼はそれを宣言した時、日本料理屋花家の仕事から離れ、新しい仕事に挑戦したばかり。精神的にも肉体的にもつらい時期だった。
ストレスから追いつめられ、その苦しさから逃れるためには一人になる時間や場所が欲しかったのだ。休みの日に自分の好きな絵を描けるアトリエが欲しい――。それにはお金がいる。本人にとっては切羽詰まったゆえの発言だった。
否定されると思っていただろう、でも受け入れられたことが二人の出発点になったのである。
そして、二人の人生は転がり始めた。それぞれ個人のヨーコ、通二として、ある時はもつれあいながら。
‘Rolling Stone’という言葉がある。
直訳すれば転がる石、アメリカ英語では、動く、変化していく、新しいことに価値を見出すといった意味がある。
ヨーコさんと通二さんの生き方を考える時この言葉が思い浮かぶ。
二人は死ぬまでRolling Stoneであり続けた。