開口一番、ヨーコさんは「あなたの書くものは奔放ね。私奔放なものが大好きなの」と知り合ったばかりの森田清子さんに言った。
「強烈な人だな」と清子さんは思ったという。
清子さんとヨーコさんの出会いはヨーコさんの長年の友人であり演出家の大橋也寸さんを通じてであった。
也寸さんの教え子で、俳優のイッセー緒方さんの一人芝居を40年間プロデュースされた清子さん、文章も時々書かれていた。その文章をヨーコさんは也寸さんから時々見せてもらっていたのだ。
ある日、ヨーコさんと清子さん、大阪行きの新幹線に乗り込もうとしていた。
「体調も悪いからこれが最後の芝居になるかもしれない」という也寸さんが、自身演出の芝居に二人を誘ったのだ。
東京駅のホームで固まってミーティングをしていたグリーン車のアテンダーの女子乗務員の一団が目に入った。ヨーコさんは腕組みをしてしばらく見ていたと思ったら「あの人達何話しているか聞いてくる」と清子さんに言い残し、その一団に近づいて行った。
帰ってくるなり「つまんないこと話しているのよね。だから私聞いたのよ。
あなたたち新幹線のアテンダーと飛行機の客室乗務員はどこが違うのってね。そしたら、だーれも答えられないの。だから私言ってやったのよ。
あなたたちはね、命を預かっていないのよって」。
清子さんがそちらの方を見ると女子の一団が全員怖い顔をしてにらんでいたそうだ。
その人たちが悪いことしたわけでもない。けれど、そんな風にヨーコさんは時々
周りに疑問を投げかける。(全然知らない人にも)指摘されて皆ハッとさせられる。
それが痛いところを突くものだから相手によく思われない。けれど、それはその人の心に小枝のようにひっかかり考えざるを得なくなってくる。
それは、ヨーコさんもいつも自分自身に投げかけていることだったのではないのだろうか。
儀式的なことに対しては、特に辛辣だった。
清子さんはその時の事を思い出しながら「ヨーコさんは、通り一遍じゃなく、深く自分にかかわるような人との付き合いを必ず見つけましょうね、という生き方を大事にしておられた」と。
さて、肝心の芝居の方はどうだったかというと――。芝居は「悪童日記」(アゴタ・クリストフ作)。戦時下で二人の幼い兄弟が生きていくために過酷な試練を受けるという暗くて重い話である。
会場はシーンと静まり返っている。
そんな中、オーイオイオイ、アッア―――ッツと子供みたいに泣きじゃくる声が。
周りはぎょっとして、大泣きしている声の主に注目する。
なんと泣いているのはヨーコさんであった。
清子さんが「どうしたの?ヨーコさん、まさか芝居見て泣いているわけじゃないよね」というとヨーコさんは顔をぐしゃぐしゃにしながら、「そう、これを演出している大橋也寸という人がこんな芝居を最後に死んでしまうかと思うと、かわいそー」といってしゃくりを上げて泣いていたのだった。
その話を聞き「わあ、なんていう厳しいお言葉・・」と言う私に「その純粋性、ストレートさ、私は好きだわ」と清子さん。
芝居の後、也寸さんは「みんなが静かに観ているのにわあわあ泣いて邪魔する事ないのよねぇー」とおっしゃったそうだ。ヨーコさんも個性的だが、也寸さんも超個性的な人である。
もちろん、これが最後の演出作品にはならず今も活躍中である。
ヨーコさんの話が面白すぎて清子さんはいつも笑っていたそうだ。
するとヨーコさんが「Why you laughing?」とユーモアたっぷりの調子で聞くのだった。