赤いハイヒールをはいた全身真っ赤な魔女の左胸にはぽっかりと穴が空き、真っ青な心臓が動いている。左脚では髑髏(どくろ)が子供を食べている。
グロテスクで恐ろしい作品。けれども魔女の体の奥底には聖母マリア像が――。
那須町にあったニキ美術館に展示されていたニキの初期の代表作「赤い魔女」。
作品から伝わる激しい怒りや強い悲しみ。ヨーコさんは恐ろしくて最初は作品と向き合うことができなかったそうだ。が、そのうちに見ることができるようになり、来る日も来る日も作品と対峙して「これは、ニキの自画像だ」と思うようになった。
この作品が作られた1963年、芸術家として生きるためにニキは最初の夫ハリー・マシューズと二人の幼い子供との別れを選んだ。
ニキが革新的な女性だとしても、子供との別れは相当に辛かったはずだ。少し経った頃、子供たちの所に戻りたい、とハリーに手紙を送っている。
恐ろしい魔女の姿をした女。その目は闇をさまよう。女として社会に置かれた立場に怒り、母として子供より仕事を選んだ罪悪感と悲しみ。しかしそんな魔女にもヒューマンで純粋な祈りの心がある。
ニキはこの作品を作りライフル銃で射撃した。様々な思いを解放して芸術家として生きていく覚悟を決めたのではないかとヨーコさんは考えた。
私は、この作品は「ヨーコさんの自画像でもある」と思う。
この作品が恐ろしくてなかなか向き合えなかったのは、ヨーコさんの心の奥底を見せられている気がしたからではないのか。
ヨーコさん自身も女として社会と孤独に闘い続け、激しい怒りと深い悲しみを持っていた。
子育ても満足にすることができなかった。
「赤い魔女」と対峙することによってヨーコさん自身もまた長い間捕らわれていたものから解放されたのかもれない。
「赤い魔女」はニキを一躍有名にした射撃絵画から次に取り掛かった女たちの役割、花嫁・出産・娼婦・魔女をテーマにした作品への転換期に作られた重要な作品だ。
どうしても、この赤い魔女を手に入れたくてヨーコさんはニキに掛け合った。
そして、いろいろ経緯はあったが、最後にニキから「赤い魔女の所有者はヨーコよ」との返事をもらう。
有名な美術評論家のピエール・レスタニ―が「パリから赤い魔女がなくなるなんて大変悲しいことだ」と嘆いた話が今も残る。
ニキ・ド・サンファル 「赤い魔女」 1963年制作/198×125×25cm