旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

先日、湯島のギャラリー「羽黒洞」で画家の美濃瓢吾さんの展覧会があり出かけた。

美濃さんは極彩色の招き猫の絵で知られる前衛画家で、いまは故郷の大分で制作されている。また、美濃さんはヨーコさんが開いていた上野のギャラリー「スペースニキ」で個展をされた最後のアーティストである。

1992年ごろ、美術館建設が本格化しヨーコさんはギャラリーに割く時間がなくなってしまった。

当時美濃さんは、浅草木馬館に住んで絵を描かれていた。ヨーコさんは美濃さんに

「昼間も閉めてしているから、好きに使っていいわよ」と言い、美濃さんはスペースニキに絵の具を持ち込んで大きな招き猫を仕上げた。

 

今回の展覧会は絵ではなく写句である。

写句とは美濃さんの言葉によれば「俳句を墨に写す」こと。芭蕉・蕪村・一茶の一句一句が八つ切りサイズの額の中に書かれ、ギャラリー壁面一杯に掛けられている。

流れるような17文字が目に飛び込んで、先人たちの言葉が頭の中で木霊する。

その中の一枚を夫が吸い込まれるように見つめている。

 

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 

松尾芭蕉が死の数日前に詠んだ句である。「病中吟」とも書かれ、病に倒れた芭蕉は自身の心情をこう表現した。

夫に問うとヨーコさんがこの句を「写句」していたことがあったのだという。

それは1997年。その年の夏にヨーコさんは脳梗塞に倒れ、軽度だったもののしばらくは半身が動かなかった。リハビリを兼ねて私たち家族と千葉の鴨川へ旅行に行った時の事だった。

ヨーコさんはホテルに頼んで墨と半紙を持ってきてもらい書いていたそうだ。

幸いにも動かなくなったのは左手だった。

実はその年の12月に、待ちに待ったニキが初来日する予定になっていた。けれど、当分仕事をする状態ではないとの診断が出た。

ヨーコさんはどんな思いでこの句を書いていたのだろうか。

 

しかし、後でわかったことだがニキもフランスで転んで左腕を骨折し来日できなくなっていた。

「不思議な力が働いているのね」といってお互い笑いあったそうだ。

ひょんなことから、夫もこのエピソードを想いだし、縁のある美濃さんのこの句を購入することになった。

 

今、この作品は我が家のリビングに飾られている。

 

芭蕉はこの句を詠んで四日後になくなってしまったが、ヨーコさんはその後、もっとも叶えたかった夢、ニキの来日を迎え、完成した那須のニキ美術館を見せることができたのだった。

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写真/美濃瓢吾さんの写句