日本料理屋に生まれたヨーコさんだが、結婚するまで料理を全くしなかった。家に帰れば板場さんが食事を作ってくれたのだから。
だから家庭料理というものが上手く作れなかったし、好きではなかった。
外食にご一緒すると「ここの店は素人だわね」と厳しかった。とにかく料理屋の味で育っただけに食べ物にはうるさい人だった。
そんなヨーコさんが度々思いついたように作ったのが大鍋のスープ料理だ。
美術館が在った頃、敷地にはヨーコさんが住むための小さな家があった。館長宿舎と呼ばれていた。
夏のある朝、私はヨーコさんを訪ねた。
キッチンのコンロには大きな寸胴鍋が2つ火にかけられていた。
ヨーコさんは、一人の美術館スタッフを助手にしてキッチンでニンジンを切っていた。
「朝早くから、何を作っているんですか?」と聞くと「牛すね肉のスープです。火を小さくしてことこと煮るとね、美味しいスープができるんだから。まあ見てて御覧なさい」。ニンジンをどさどさと鍋に放り込みながらヨーコさんが言った。
「また、はじまったぞ」と私はいささか不安な気持ちになりながら思った。
那須では東京と違って生活がシンプルだ。時間はゆったりと流れ、またたっぷりある。‘‘那須時間‘‘と私は呼んでいた。
料理人の血が騒ぐのか那須に来ると料理をするようになったヨーコさんは、少人数分をちまちま作るより、どっかーんと大勢分つくってスタッフや家族、友人たちに振る舞うのが好きだった。
「ゆきちゃん、ひとっ走りセロリを買ってきてちょうだい」とヨーコさん。
買い物と言っても東京のように欲しいものがすぐ手に入るわけではない。
なにせ山の上の事。買えるものは限られている。
片道20 ㌔の道を車で走らせて山を降りてスーパーへ。セロリを手に入れて山道を半分以上も登った頃、携帯電話が鳴り「悪いけれどパセリも頼むわね」。
再び山を下って先ほどのスーパーへ駆け込む。するとまた電話が。「パセリはやめて、瓶に入ったハーブ買ってきて――」。
料理に限ったわけではないが、ヨーコさんが何かしようとする時は、周りにいる人達は総動員体制だ。ヨーコさんの言動に右往左往することになる。
館長宿舎のドアを開けると、いい匂いが漂ってきた。
「ヨーコさん、買ってきましたよ」と私。
ヨーコさんは疲れたのか、リビングに置いてあるベットに横になっていた。
「ありがとう。台所に置いておいて。ちょっと疲れたから寝ます」と。当時、昼夜が逆転することがしばしばだったヨーコさん。朝早くから張り切っていたせいもあるのだろう。
「スープ大丈夫ですか。火、消しときましょうか」と言うと、ヨーコさんは寝たまま手を振り「大丈夫、大丈夫。またスタッフが来てくれるし、お肉を柔らかくするためにはもっと時間が要るのよ」と言った。
嫌な予感がしたが、私も予定があったのでその場を後にした。
夕方、再び訪ねるとヨーコさんはベットに横になっていた。
「ヨーコさん、大丈夫ですか」と声をかけると、「スープがね、焦げちゃったんです」と小さな声。予感的中だ。急いで台所に行くと無残にも真っ黒に焦げ付いた鍋がごろんごろんとシンクに二つおかれていて小皿にお肉と野菜と少しのスープが取り分けられていた。
「少し取り出したんだけど、それも焦げ臭くってね」
味見すると確かに焦げ付いたにおいが滲みついてしまっている。
「お肉は柔らかいのに残念ですね」と私。
「この次はね、失敗しないようにするからね、本当に食べさせたかったのに」
この3日後ヨーコさんは牛すね肉のスープを無事、成功させた。
皆がご相伴に預かった。
「おいしい!」
焦げ付いたお鍋はどうなったか皆さん気になっていることだろう。
お鍋はスタッフがきれいに磨いてくれました・・
写真/ニキ美術館の庭園にて