「汐留の展示はモンスター・ガーデンと名付けましょう!」とヨーコさんが張り切った声を挙げた。
なんと言おうとヨーコさんがそう言えばそれで決まりだ。
展示担当責任者の越川さんをはじめ他の面々も頷くより他はなかった。
2002年の4月、東京汐留の電通ビル前の広場に突如、ニキの大型作品を展示した「モンスター・ガーデン」が出現した。今まで見たこともないようなスケール間、ユニークな作品が評判となり大勢の人が詰めかけ、急きょ展示期間を二ヵ月から三ヵ月に延長した。
ニキの世界を知り尽くしたヨーコさんが名付けただけあってモンスター・ガーデンはその名にふさわしく不思議で、ちょっぴり不気味な、けれどもユーモラスなニキの世界だった。
ニキ美術館が貸し出した「ブッダ」の他、古代エジプトの神々をモチーフにした「アヌビス」、「大きな蛇の樹」「ビッグヘッド」「ビッグレディ」5体の巨大な作品がビルの谷間の小さなスペースに展示された。
展示場所が違うだけでこうも作品の印象が違うのかと私は思った。
特に夜。ニキの世界の住人たちがミステリアスにライトに浮かび上がり、ここが、ビル群が立ち並ぶ都会の真ん中ではなく秘密の神殿に迷い込んだかに思えるのだった。
作品を置くだけでその空気までもが変化してしまう、圧倒的な存在感なのだ。
作品が痛むからという理由で作品を貸し出さなかったヨーコさんが、この屋外の展示に貸出をOKしたのは夫通二さんのパルコ時代の部下で、住まいが近くヨーコさんとも親交があり、当時電通へ移っていた越川茂さんのたってのお願いだったからだ。
モンスター・ガーデンにスタッフとして参加していた元パルコ社員の古川ひろ子さんがそこでの思い出を話して下さった。
ヨーコさんが来てモンスターたちをバックに写真を撮りましょうということになった。
当時、ヨーコさんは病気のために体が不自由になって杖を離せなかったのだが、突然「えいっ」とその杖を放り投げると自分でできる限りのポーズを取ったのだった。
古川さんは思いがけないヨーコさんの行動にびっくり。ヨーコさんがそんな大胆なポーズなのに自分が何もしないのはいかがなものかと、慌てて同じポーズをしたのだそうだ。
古川さんはその時の写真を大きく伸ばして今も大切に持っているという。
「一瞬にしてヨーコさんの思いが伝わったの」と古川さんはおっしゃった。
「予想もつかないことをパーンとなさるのよね」と。
そしてヨーコさんは「古川なんて名前はやめて新川さんに変えたらどう?」と言ったのだ。
その言葉を古川さんは、枠から踏み出しなさいというメッセージと受取ったのだという。
そして「普通の人が言葉にできないことを直球で言う。それが嫌味でないのは積み重なった教養があるからだと思う」と続けられた。
一方、古川さんは通二さんが来ると背筋がピーンと伸びた、という。
古川さんにとって通二さんはリタイアしたとはいえパルコのカリスマ的経営者と言われた人。
その通二さんも久し振りのイベントを楽しんでいたそうだ。
二人でお客さんを伴ってはよく会場を訪れた。
美術館が建ってからヨーコさんは那須で、通二さんは東京と別々で過ごす時間が多くなった。
二人にとっても華やかな春の舞台だったと思う。