池之端界隈 その一

今、上野・池之端界隈を歩いてみると古い建物はほとんど残っていない。

それでも、そば屋「蓮玉庵」、ツゲ櫛の「十三や」、鰻の「伊豆栄」など戦前から続くお店が残っている。蓮玉庵とその近くにあった「藪そば」はヨーコさんのお気に入りで、生前よくご馳走になったものである。

 

戦前は、不忍通りにあった花家の裏手の一帯が花柳界で、年中お三味線の音が聞こえていたり、芸者さんが人力車に乗っていたりした粋なところであった。夏目漱石の「吾輩は猫である」にも「宝丹の角を曲がると一人芸者が来た」の一節がある。「宝丹」は江戸時代にさかのぼる薬屋さんで花家と同じく戦火を逃れて戦後も洒落た洋館が残っていたが平成に入り建て直されてしまった。

少しずつ確実に昔ながらの景色が失われていく。

 

私は70年ほど前の粋でしっとりとした池之端界隈を想像しながらぶらぶらと歩きまわってみる。おかっぱ頭の小柄な少女だったヨーコさんもここを歩いていたのだ。その頃は通りで遊ぶ子供たちも多かったことだろう。

感受性の強いヨーコさんは待合にもらわれてきた子共が同級生だったり、文士たちの行きかう粋な大人の街の裏には様々な人間の悲哀があることを幼い頃から感じていた――との思いに至る。

子供時代の思い出をヨーコさんがあるインタビューで話している。

「花家の近くに落語家の桂文楽師匠の一家が住んでいて、一級上に文楽師匠の息子が居たんですね。並河くんといってね。

その並河くんが小学校の名物男で、担任の先生が休むと、一級上の先生が来て、教えるのめんどくさいんでしょうね。「並河!」って呼ぶんですね。

自分のクラスから連れてきて「お前、落語やれ」なんて言って。落語家の息子だから。

そういうちゃらんぽらんな学校でした。当時は。

で、授業が終わると、並河くんは踊りか何かのお稽古に。和服に兵児帯、貝ノ口っていうんですけど、お扇子もって歩いているんですね。で、周りの子供たちがからかうんですね。

‘おんなおとこー‘って。急におとなしくなっちゃってね、冗談も言えないで恥ずかしそうに歩いている。文楽さんの一粒種だったんですけれど、戦争に取られて、戦死して、跡取りが居なくなって。

その文楽師匠のお宅によく遊びに行きました。だから全然違うんですよね、気風が。

山の手育ちの人と。本当に下町。下町中の下町ですからね。

樋口一葉の「たけくらべ」で美登利っていう女の子が段々成長して吉原のお女郎さんになるんだって。正太っていう男の子がまぶしげにちらちら見て。ああいう雰囲気ってわかりますね」

ヨーコさんは落語が大好きだった。

毎晩、近くの鈴本亭で寄席を聞いて育った。

本物の噺家のような(将来はそうなったかもしれない)並河くんを羨望の眼差しで見つめているヨーコさんが思い浮かぶ。

ふと、ヨーコさんの初恋は並河くんだったんじゃないかな――と思った。

上野界隈

写真/昭和16年頃上野界隈にて、中央の白い服の少女がヨーコさん(10歳)