ヨーコさんの言葉

HPに2年間連載した「YOKO増田静江の生涯」~ニキ・ド・サンファルに魅せられ美術館を作った女性~を基に「ニキとヨーコ」が出版されたが、一冊の本にするための制約で削ってしまったくだりも多い。

先日、インターネット上である読者から「ヨーコさんのエピソードの中で一番いいところが削られている」と書かれていた。そこで、その‘一番いいところ‘をもう一度ここでご紹介したいと思う。

その話は、津田塾専門学校(当時)英文科を卒業したヨーコさんが初めて、55歳の時に同期会に出席した時の事である。ヨーコさん自身がその時のことを文章に残している。

~久しぶりの懐かしい方々との心昂ぶる再会。私の青春の断片、野心の残滓。

幹事に要請して各自の自己紹介をして頂いた。自分の番が回って来た時、私は立ち上がり言った。

「今までの皆さんの自己紹介を聞いて思ったことが二つあります。一つは「私のような者がおこがましいが」という前置つきで自分の職業のことを言う。二つ目は「今の私の切実な関心事は、早く娘が片付いてくれないか」などと言う。私から次の人には、ぜひこの二項目は言って欲しくない。津田まで卒業して、そんなことを言ってよいものだろうか。自分も女の子だったのに、年頃の娘を荷物のように片付けるだの何だの・・。

娘さんの心配は今日からやめて、これからは自分の生き方を考えたらどうでしょう。職務も、自分をおこがましいと思ったら、さっさとやめて、その職業に就きたい人に、譲ってあげたらよろしいのです。というわけで私の次からこんな自己紹介をしたら、一項目につき千円ずつ罰金を頂きます」。

私は自己紹介も忘れて座り、友人たちはみなワッとひっくり返って笑った。

言いも言ったり。思い出せば津田塾東寮にいた頃、「オーバーアクトレス」という渾名を頂戴していたのだっけ。私の悪い癖がまた出てしまった。どうも学友たちの中にいると、ついつい挑発的になってしまう悪い癖が。

私は恥じて、それ以後とびとびに二度同期会に出たが、それ以降は出ていない。

自分が抜身の刃になったようなあやうい青春。その頃に本家還りしてしまったらと思うとぞっとするからだ~

―実にヨーコさんらしいエピソードである。

ヨーコさんはいつも誠実に自分はどう生きていくべきかと問い続けて生きた人だった。

もし私がその場にいてこの言葉を聞いたらどう答えるだろうか。

とっさには答えられず居心地の悪い思いをしたのではないだろうか。

日々、目的意識をもって生活をしていくことは難しい。

目の前の生活に手いっぱいで、志など目の前にぼんやりと漂っているのを眺めているばかりである。

しかしこれではいけないと思う自分も確かにいる。

とくに、今年は病気を抱えたこともあり、自分がこれからできることをもやもやと考えている日が多い。

今年のお正月、家のそばの神社で引いたおみくじにこんなことが書かれていた。

「今年より春しりそむる 桜散るということは ならわざらなん」

若いうちは生きるということに精一杯で、死ということまで考えない。

あの平家もまたそうであった。気づいた時はもう遅かった。取り返しのつくうちに自身の大計をたてようではないか。

不思議にも今の私にぴったりくる言葉だなと感じた。

それからはや9か月。あいかわらずもやもやとしている自分がいる。

早くしないとあの世でヨーコさんに千円罰金を払うことになりそうだ。

 

 

 

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次回の「ヨーコのエピソード」は10月に掲載します。お楽しみに。