齢50まで日本料理屋の女将として店を切り盛りしてきたヨーコさんが、突然ギャラリーのマダムに大変身した。和服一辺倒だったヨーコさんには何を着ていいのかさっぱりわからなかったに違いない。髪型も日本髪から前髪ぱっつんのショートボブ。カラフルなニキ作品を引き立たせるためか、スペースニキでは黒い洋服が多かった。
ニキに会いに初渡欧した際、ヨーコさんの友人、大橋也寸さんの証言によると、つなぎの作業服のような服を何枚も持ってきた、という。ヨーロッパは犯罪が多いと聞いたヨーコさんが、自身男性に見えるという理由で選んだらしい。
二度目に也寸さんがフランスで会った時には、全身黒づくめのコムデギャルソンで決めていた。色違いの同じ服を何枚も購入しマイブームとばかりに着続ける――。
ヨーコさんのこうと決めたらそれ一筋という性格は服に限ったことではない。
食事もまた然り。鰻と決めたら毎日鰻。スペースニキで展覧会中のアーティストが毎晩鰻屋に連れていかれて悲鳴を上げたそうな。
晩年のヨーコさんが好んで着ていた洋服がある。
ニキが引っ越した先のサンディエゴはメキシコに近い事もあって街はいたるところにメキシコの商品を売る店が並んでいた。
ニキ詣でにサンディエゴに来たヨーコさんの目にカラフルなメキシコのジャケットが飛び込んできた。強烈な赤のジャケット地にプリミティブな動物たちの顔が大きくアップリケされている。
まるでニキ作品から飛び出てきたかのようなジャケットだ。
気に入ったら即断即決。赤に加えて青,黒も買い求めた。お店の人は爆買い日本人にニコニコ顔。さあ、日本に帰ってからヨーコさんのコーディネイトはこのジャケット一色となった。どこへ行くにもこれらの洋服だから人目を惹いた。「あれがニキ美術館の館長さんよ」と。数年たってヨーコさんが私に黒いジャケットを譲ってくれた。それはそれで嬉しかったが、ジャケットの個性に負けてしまって、私にはさっぱり似合わなかった。ある集まりに着ていくと、友人の一人が「そのジャケットを着てきたという事がすごいね」という変なほめ方をしてくれたのだが。
それにしてもヨーコさんは、あの洋服を見事に着こなしていたなあと思うのだ。
ヨーコさんという人間の全身から流れ出るエネルギーがどんな強烈なものでも消化し、
自分のものにしてしまう。
ニキの作品に出会い、惹かれ、そして「ニキは私だ」と叫んだヨーコさん。
メキシコの赤いジャケットを着たヨーコさんをふと思い出し「そういうことなのか」
と改めて気づいたのだった。
赤ではなく青いジャケットですが・・/ヨーコさん愛用のジャケット(前と後ろ)